住職より~令和6年の春の彼岸会を終えて

2024年3月22日
称号十念

 私たちはなぜ仏事をお勤めするのでしょうか。それは、生まれて、一生懸命生きて、最期死んだら、極楽浄土に往くためです。

 彼岸の中日は真西に太陽が沈みます。それによって正確に極楽浄土がある方向を理解することができるので、最期極楽浄土に往くために念仏を称えるには最適の日であります。

 このたびの彼岸会でも念仏を称えしました。では最期極楽浄土に往生するまでの間、私たちは如何にして過ごしていくべきなのでしょうか。それは一生懸命生きていくということだけです。
一生懸命生きるとはどういうことでしょうか。それは物事の本質や大切にすべきことを常に意識して生きていくことです。しかし、私たちは大概の事に関する本質に触れたことがあるはずなのに、日常生活の中で忙殺されるあまりそのことを忘れていたり、覚えてはいても行動まで落とし込めなかったりしています。あるいは触れたことがあるのに気づけなかったということもあるかもしれません。それが我々の苦悩の根源のひとつであります。

 正光寺の彼岸会では、そうした物事の本質や大切にすべきことを再確認するために、心静かに阿弥陀様とご先祖様に向き合って内省し、最後に念仏を称えます。静かに内省して再確認したことを踏まえ、次の内省機会まで一生懸命生きることが仏事の目的です。
しかし、凡夫である私たちは、いくら頑張っていてもしばらくすると大切なことが蔑ろになり始めてしまいます。そのような私たちにとって仏事は、再び物事の本質や大切にすべきことを思い起こさせてくれます。

 仏事とはまさに、生まれて、一生懸命生きて、最期死んだら、極楽浄土に往く、その過程にある心の補給地点なのです。

合掌

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住職より~令和6年の春の彼岸会を終えて

2024年3月22日
秋彼岸会をお勤めしました。
正光寺の秋彼岸会に参加されている方々は、お念仏を称えることに慣れていらっしゃいますし、彼岸会で読むお経や偈文をかれこれ10年以上一緒に読んでいますから、行事での立ち居振る舞いは慣れたものです。


そこで今回は各偈文、経文ごとにその意味を概説しながら一緒に読むことにしました。法事や行事で読む一連の経文・偈文のことを総称して勤行式(ごんぎょうしき)と言います。
浄土宗の勤行式は、その順序に明瞭な意味があります。初めに道場をお香で清めたのちに仏さまをお迎えします。その後に任意の経文を読んだ後お念仏をひたすらお称えします。そしてその功徳を回向し、最後に仏さまにお帰り頂くのです。行事によって細部で違いはあるものの、以上が大まかな流れなのです。


私達にとって漢文は分かりにくいことの一つではありますが、漢字一つ一つの意味は概ね理解しています。ですから、漢文を正確に理解することは出来なくても、その字面から何となくの意味を理解することができます。

同様に今回行事に参加された方々も、彼岸会で読んでいる勤行式に関する大まかな意味は理解されていると思うのです。このたび、改めて各経文・偈文の意味をご説明したことにより、さらに勤行式を読むことの価値を感じられたのではないかと思っています。
次回の正光寺の行事は10月の十夜会になります。その際にも一緒にお念仏をお称えします。当日お会いできるのを楽しみにしております。